結局は嫌いだから殴るのでは?
2013年 02月 04日
体罰の起こる現場について考える。
これをやりだすと止まらなくなる。
突き詰めていくと、一体何が残るのかを知りたいのかもしれない。
殴られる生徒と、殴られない生徒がいる。
これは結局、嫌いだから、好きではないから、言葉では説明できない苛立ちが、
殴る、蹴る、暴言を吐くという行為にあらわれるのではないか。
生徒間同士でも、そこに教師が入っても、同じなのではないか。
好き嫌いは誰でもある感情だ。
要はそれを抑えられるかどうかの違いだと思う。
すっきりしない、学校問題はすっきりしない。
これは私の中のテーマだからかもしれない。
いつか、どんな形かで、書くことになるのだろう、と覚悟している。
戦わなければならないのだ。
これをやりだすと止まらなくなる。
突き詰めていくと、一体何が残るのかを知りたいのかもしれない。
殴られる生徒と、殴られない生徒がいる。
これは結局、嫌いだから、好きではないから、言葉では説明できない苛立ちが、
殴る、蹴る、暴言を吐くという行為にあらわれるのではないか。
生徒間同士でも、そこに教師が入っても、同じなのではないか。
好き嫌いは誰でもある感情だ。
要はそれを抑えられるかどうかの違いだと思う。
すっきりしない、学校問題はすっきりしない。
これは私の中のテーマだからかもしれない。
いつか、どんな形かで、書くことになるのだろう、と覚悟している。
戦わなければならないのだ。
by kaseno-sanpo
| 2013-02-04 22:44
| 思うこと