明るく、笑顔で。陽光浴びて、歩いていこう。

by kaseno-sanpo

学校のいじめをどうやってなくすか。

 大仰なタイトルを挙げたわりに、暗中模索といったところだ。

 その前に、学校とは何か? ここからスタートすべきだと思う。
 学校とは、
 勉強をする。大人になるとわかるが、学べる環境にいるというのはとても幸せなことだ。

 身体を作る。スポーツを通して、大人になる身体を作っていく過程の途中だからね。

 心を養う。友達との関係に楽しみ、悩み、傷ついたり、そういった人との関わり全般。

 そこに教師ができることは、ほんの手助けではないだろうか。
 教師にできないことは限りなく多い。私はそう思う。大人になったいまだからわかること。
 子供のころは違う。子どもの目からみる教師は絶対的な存在だった。正しい存在だった。

 いじめを見抜けない先生。
 これは、わからないでもない。
 ぼんやりしかみえないが、いじめと遊び、というのは、本当に区別がつきにくいはずだ。
 数人で固まり、囲うような感じだからだ。

 誰からも話しかけられない、無視されるようないじめのほうがわかりやすい。
 昔はそんないじめも多かった。
 いつも、ひとりぼっち、そんな子が教室にいたはずだ。

 話を戻そう。
 遊びに見間違えるいじめ。
 私のクラスで、いじめ問題なんかあっては困る。そういう恐れの感情が先走るのはあるだろうか。
 駄目な教師のレッテルを貼られたくない。ドラマのような問題を解決していく教師は、本当は駄目な教師なのだと。
 
 守りに入ってしまう。
 いじめる生徒は、遊びという守り。
 担任は、自分の仕事の守り。
 学校は、評判からの守り。
 教育委員会は、市や県などからの守り。
 
 人は誰しも自分を守りに入る。これは生き抜く、戦いの基本だから。本能なのだ。
 守る体制を捨て去らなければ、いじめ問題とは向き合えないだろう。

 今日は、六切り写真を贈った。
 こんな大判を人にあげるのは初めてだ。
[PR]
by kaseno-sanpo | 2012-07-21 19:42 | 思うこと